きっかけは奴の一言から。
 予感はしていた。奴が絡むとろくなことにならないのはいつもの事だし。
 
 俺は、誰かとつるむ事に必要性を感じない。
 興味本位で近づいてくるやつらだ。こっちの得になったためしなど一度もなかった。
 好きで一人でいるんだから、ほっといてくれ。
 


 【エメラルド】

 三寒四温が過ぎ、春の暖かな日差しを日々感じるようになった。
 季節という単語があまり浸透していないこの大陸にも、春らしさは訪れる。
 故に、花粉症の少年にとっては面倒な季節である。
 とは言え、大親友になると決めた相手に声をかけることをやめる様な彼ではない。



「ねぇねぇねぇ!!」
 明るく楽しげな声は、廊下に広く響き渡る。
 しかしその声がかけられている人物は全く聞こえていないようだ。姿勢だけを見れば。
 この至近距離と声の音量を見れば無視しているのは一目瞭然。
 よほど嫌われているのだろうが、声の主の当人は自覚はないようだ。
「エヴァー! エヴァー! エヴァン!!   ・・・くっしゅっ」
 声の主は花粉症だった。故に声は途切れ。
 しかし、追いかけるのをやめていないことは足音で分かった。
 不規則な足音から、数日前に転んだと言っていた怪我が完治していないことを窺わせる。
 エヴァンがそのことを知っている理由は、わざわざ教えに来たからだ。

 見た目重傷に見えるけど、全然痛くないから心配しなくていいよ と。



 くしゃみをしながら、速度は緩まない。
 忍耐の限界は早々と訪れて、エヴァンと呼ばれた少年は、後ろを振り返った。
 花粉症の少年は満面の笑みで迎える。
「いい加減、やめろっ!」
 突き放すように、エヴァンは言い放つ。
「何を?」
 花粉のために涙目になりながらも、さわやかに聞き返す。
「・・・俺に付きまとうな」
「あれれ? エヴァ、眉間に、っくしゅ・・・・しわ寄ってるよ?」
 眉間にしわを寄せて言うエヴァンに対してこの科白だ。
 嫌われている自覚なし。
「・・・・・・」
「何かいやな事でもあったの?」
 涙が止まらない目を、ゴシゴシ、とこすりながら、聞く。
 花粉症の少年、彼の瞳は、人工的なエメラルド色をしていた。
 濃緑色で、透明で、凄く綺麗な色。
「?!」
 怒鳴り散らしそうな勢いで口を開いたエヴァンが、虚を付かれた。
「・・っぅしゅ・・・、エヴァ、どうかし・・ああ、これ?」
 視線に気が付き、あっけらかんと。
「僕と血の繋がりが一番近い女性がね、僕の瞳の色を嫌っててさ、カラコン入れることにしたんだ」
 笑って言った。



 本当に怪我人か疑いたくなる。
「でね、一度会ってほしいんだけど」
 早足で歩いているというのに、差は開かなかった。
「くしゅっ・・、いい奴なんだよ。絶対、エヴァーと合うって!!」
 ピタっと、エヴァンの足が止まる。
 エメラルドの瞳を持つ少年は、急なことでつんのめる。勢いはとまらず体勢を崩して転んでしまった。
「エヴァ?」
 何か違和感を感じて、尻餅をついたまま少年はエヴァンを仰ぎ見た。
 エヴァンは少年を冷たく見下す。
「・・・・嫌味か?」
 冷たく言い放つ。
「????」
 きょっとん、とする。涙目で。何度か瞬きをした。
「俺の母親が殺されてることを意識して言ったんだろ・・」
 ”・・・血の繋がりが一番近い女性が・・・・”と。
 消え入るように言って、歩き出す。
 茫然と少年は考え込み、意味を理解した。
 その時間は主観的には長かったが、実際には彼のくしゃみが2度ほどの時間。
 離れて小さくなっていく、エヴァンの姿。
「自惚れんな!」
 その背後に向かって、少年は叫んだ。
 驚いて、エヴァンは振り返る。
「悲劇の主人公演じてそんなに楽しいのかよっ・・くしゅ」
 驚愕の表情のエヴァン。笑みが消えた少年の顔を、今まで見たことがなかったからだ。
 こんな真剣な顔は初めてだった。
「しゅっ・・・、くだらない奴等の言葉に振り回されんな!」
 沈黙。
 二人はにらみ合う。
「・・っくしゅっ」
 沈黙を破ったのは、少年のくしゃみだった。
 呪縛が溶けたように、エヴァンは言う。
「お前も、くだらない奴等の一人だろ?」
 一度あふれ出した感情は、とまることはなく。
「自分の地位目的に俺に近づく奴等と同じじゃないか!!」
 表情は、今にも泣き出しそうだ。
 いつもの無表情はなんだったのかと思うほどに変わっていた。
「俺は、俺は・・、もう、俺にかまうな! 俺なんか、何の価値もない・・」
 顔を伏せる。自覚していることでも、改めて自分で言うと、そのダメージは大きい。
 エメラルド色のカラーコンタクトをした少年は、エヴァンの打ちのめされた姿に。
「やっと本音で話してくれた」
 満面の笑みで笑った。




「で、何が目的なんだ」
 平常心を取り戻したエヴァンは、少年に冷たかった。
「えっと・・・、まず、誤解をこくことかな?」
 その変化を気にも留めず、言う。
「は?」
「だって、そうでしょ? 大親友の間に誤解があっていいわけないじゃない」
 さも当然! と言わんばかりに胸を張る。くしゃみをしながら。
 エヴァンは顔をしかめる。
「そうおもうでしょ!」
「思わない」
 きょとんと、少年は首をかしげた。
「大親友なのに?」
「お前その前提が、まず違う・・」
 エヴァンは何故この少年とまともに会話をする気になったのかが分からなくなった。
 しかし、それは前ほどトゲトゲした感情ではなかった。




 少年は、突然エヴァンの前に現れる。
 それはいつもの事だった。
 そして、少年が何時も何処かしら怪我をしているのもいつもの事で。
 だから気にもとめていなかった。
 後悔は先に出来ないものなのだと、後で知る。

「前言った話なんだけど・・」
 その時も突然現れて。
「会う気ない?」
 唐突に話題を振った。
 自室で本を読んでいたエヴァンはゆっくりと本を閉じて、疑問を口にする。
「何の話だ」
 少年は、嘘泣きの姿勢を作る。
 実際に花粉のためとはいえ涙目なので、本当に泣いている様に見えた。
「酷い、僕の話したことを覚えていてくれないなんて・・」
「くどい」
 慣れたもので、エヴァンは冷たい一言で断ち切る。
 しかし、少年も慣れているので気にせず続ける。
「で、会ってみてよ。いい奴なんだ。元無限城の人間だけど・・・」
「断る!」
 ”無限城”の名を聞いたとたん、エヴァンは大声を上げた。


 二人は夢幻城に所属する人間である。
 無限城と敵対する勢力にいる人間だ。
 故に、エヴァンには少年の行動が信じられなかった。


「大丈夫! 元だから」
 無言で睨みつける、エヴァン。
「なんていうんだっけ? 外を選んだ、って言う制度で、無関係って言ってたし」
 睨み付けられようとも、素知らぬ顔で、楽しそうにしゃべる少年。
 2人は絶対気が合うから仲良く出来ると、連呼する。
 少年の力説をエヴァンは聞き流していた。
 だから普段出入りしている居酒屋の名前だけ覚えて、当人の名前を覚えず、という結果となる。
「こら! エヴァ、ちゃんと聞ぃ、くしゅ・・・、てよ」
 と、写真を取り出す。
 いい奴だから、気が向いたらでいいからさ。
 言い残して部屋から出て行った。

 本当に、自分勝手に現れて、勝手に消えていく。
 何がしたいんだろう?
 エヴァンはしばし考え込んで、次ぎ来た時にでも聞いてみよう。と、片付けた。






 彼らが再び出会い、声を交わすことはなかった。


 少年は、対無限城の活動の何かで行方不明になった。


 そのことをエヴァンが知るのは、事件から数ヶ月経った後の事で。


 どうすることも出来なかった。


 ただ、誰も訪れることのなくなった自室を広いと感じながら。


 ぼんやりと、何かを考えて。


 日々を費やした。





   ■ ■ ■ □ □


 他愛のない言い争いの中、少年が話題転換をした。
「ところでさぁ」
 真剣に考えながら、
「何で、エヴァーは僕の事名前で呼んでくれないの?」
 と。

「ああ、俺、お前の名前知らないから」
 さらりと、エヴァンは言い放った。
 大ダメージを受けて、少年はしばしの間硬直してしまった。


 大親友の相手の名前を知らないだなんて信じられない。
 しかもそれを悪気なく言い放つなんて。
 でも、相手はエヴァーだし。心の中では本当はとっても悪いって思って・・。
 いないよな・・。
 本当、酷いよぉ・・。

 以上、数日間言い続けた少年の科白である。
 これにはさすがのエヴァンも睥睨してた。素直に自分の非を認めたのだ。
「聞くチャンスがなかったんだ」
 と。
「何度も自己紹介した記憶あるんだけどなぁ・・」
 涙目で睨みつける。そして、エメラルド色の目をゴシゴシゴシ、と手でこする。
「・・・くしゅっ・・、決めるべき時に花粉症って厄介だ・・・」
 ブツブツと数分愚痴っていたが、
「かーなーり、だよ。ちょんと覚えてよ、こんどこそ!」
 にっ、と少年は、可也(かなり)は笑って言った。


   □ □ □


「だから、僕は別に”母親”って単語を意識して避けたわけじゃなくて・・・」
 可也はいつもと変わらない笑みをたたえて。
「あの人は、ただ、僕をこの世に産み落としてくれたってだけなの」
「・・・・?」
「それだけ」
 相変わらず、楽しそうな笑みで。
 しかし何処か、遠い目をしていた。
 包帯に巻かれた腕をさすりながら。エヴァンを見て、にっこり笑った。


   □ □ □


「濃緑色って春って感じするでしょ?」
 部屋に来るなり唐突に話し出した。
 毎度の事なので、キリがつくまで本を閉じない。
「僕、花粉症だから、春ってどうしても苦手意識あってさ。その克服のために!!」
 部屋の中をぐるぐる歩きながら。
 正確には、エヴァンの周りを回りながら、嬉しそうに、楽しそうに。
「春って、何かが始るって感じだよね。この大陸に四季の定義がないのは知ってるけどさっ」
 エヴァン、ようやくキリがついたのか、本を閉じて、可也のほうを見て。
「何の話だ」
 と言った。
「僕のカラコンの話でした! エヴァのばーかっ」
「?!」
 捨て科白を残して可也は部屋を後にした。


   □ □ □


 エヴァンが体調をくずということはとても珍しいことだった。
 だから、可也はとても慌てた。寝てるエヴァンを叩き起こすほどに。
「エヴァ・・、死んじゃだめだ!!」
 言うと同時に、可也はエヴァンに殴られた。
「・・勝手に殺すな」
「痛いよ、道連れにしたいなら最初っから、そう言えばいいのに・・」
 ぷぅ、と可也は膨れながら愚痴る。
「黙れ」
 ダルそうな表情と、恨めしそうな視線を向けながら、続けて。
「誰の所為だと思ってる・・」
 言った。もちろん可也は、
「誰の所為なの?」
 と、聞き返すわけで。エヴァンはどっと疲れを感じる。

「まぁまぁ、心配されるってのもいいものでしょ」
 にぃ、と笑った可也の顔を見て、エヴァンは、本当は分かってやってるんじゃないかと疑った。
「かな・・・」
「何?」
 言い返すのも面倒になる。
「なんでもない」
「そ、・・・・ねぇ、エヴァ?」
 睡魔が再びエヴァンを遅い、返事が出来たかすら定かではなかった。
 しかし、そんな様子のエヴァンを見て、微笑んで、可也は言った。
「きっかけなんて、そこら辺に転がっていると思わない?」
 返事は、規則正しい寝息だけだった。
 

   □ □ □


 風が吹き込み。
 机の上に無造作に置かれていたモノが舞い上がって、床に置いた。
 エヴァンの足元へと着地する。

 それは、一枚の写真だった。





   □ □ □ ■ ■




「可也を知ってるのか?」
 エヴァンの第一声はそれだった。





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